読書狂時代

本について、読書について

64 ロクヨン   映画版

64 ロクヨン 映画版を観た

小説版との比較について書きたい

 

小説は、前にここのブログにも書いた

その記事も読んでもらえればありがたい

 

 

映画版 64は小説版をきちんとなぞっている

ただ、小説は上下巻で800ページほどある

それを前編・後編4時間の映画に収めるのはムリがある

 

この小説を本当の意味で実写化するのであれば

連ドラにして10回ほどやるのが

一番おもしろく作れると思う

 

映画だと、詰め詰め

小説の中にある濃い内容を入れ込みすぎているため

展開が急

もっと段階を踏んでから、問題にブチ当たるのが原作

それゆえ、色々と振り回されるシーンなんかもあり

そこは、そこで原作のおもしろいシーンである

映画版だと、そういったシーンがカットというのか

ムリに入れているため

映画だけ観ていると

なんでそうなるんだ?と思うシーンもある

ここがもったいない

だったら、一層原作のある部分は削って

強調したいシーンは、じっくりと原作通り

息をつかせぬように描いてもよかったのではないか?

 

最後の40分ほどは、原作にないシーンが入っている

原作だと、誘拐事件が解決して

64事件の犯人は、あいつなのでは?というところで終る

映画だと、その後

被害者(64事件では加害者)である娘が

また誘拐されたのでは?というシーンが出てき

そいつを犯人として逮捕するようなシーンがある

 

そこは、必要だったのか?

もし付け加えるのであれば、もう少しやり方があった気がする

観てて、違和感を感じた

しかも、それを主人公が犯罪のようなことをして

おびき出すという・・

主人公の人格がブレているように感じた

 

映画ってのは、原作と違うシーンがあっていい

ただ、そシーンが映画として必要である

原作を汚さない

そういったことを意識してほしい

 

 

この映画の見所の一つは

キャストが豪華

 

こんな豪華なキャストの映画は

近年ないのではと思うくらい豪華

 

主役の佐藤浩市がカスんで見えるほどだ

 

主役を佐藤浩市にするのであれば

娘が父親の顔に似ていることを嫌っているシーン

あそこは、不要だったのではないか?

 

ドラマ版では、ピエール瀧が演じたが

それなら納得する

 

佐藤浩市は、ブ男か?

むしろイケメンだろうしかも、その娘役も全然ブスじゃない

むしろカワイイ

なぜ、そのブ男設定を削らなかったのか

別に娘が家出しているというのに顔がキライという必要はない

 

ムリに小説の設定に忠実にすることが

映画として成功するわけではない

限られた時間の中で、色々と詰め込むと

観ているこっちも混乱する

 

小説を読んでない人は、この映画をどうとらえただろう?

なんだか、展開が急な作品に感じたのでは?

ムリに色々と詰め込すぎているため

なんで、急にそうなるのか

説明不足のシーンが多い

 

原作読んでいる人でも、大事なところ削ってるな・・と

思っただろう

 

この映画を観た人は、ぜひ原作を読んでほしい

映画で、?となったところは

原作で細かく描かれているので